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「新井・松田デュオ×デュオ・トラサルディ デュオバトル!」コンサート主催してきました

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オペラシティの近江楽堂というホールで、「新井・松田デュオ×デュオ・トラサルディ デュオバトル!」を開催してきました。

なんと前日の深夜に出演者の新井伴典さんのインフルエンザが発覚。39度から熱が下がらないということで、急遽、若手のギタリスト徳永真一郎さん(写真右端)に代演をお願いすることになりました。

パリに10年ほど留学していて、昨年帰国し、日本での活動をはじめた気鋭のギタリストです。本来お客様として見えるはずだった彼ですが、なんとか演奏者が楽譜をおくりつけ、譜読みしてもらいました。

故郷の徳島での仕事を終えて、徳永さんが東京に着いたのは16:00過ぎ。会場設営の傍ら小一時間でリハを終え、カルテットメンバーとして堂々と演奏し、お客様からあたたかい拍手をいただくことができました。

自分が主催した演奏会でまさかのアクシデントがあり、出演者変更のアナウンスをどうしよう、アナウンスのタイミングをどうしよう、キャンセルが大量に出てしまったらどうしようと、不安は尽きませんでしたが、演奏者とスタッフのみなさんのチームワークでなんとか乗り切れました。

出演者の急病という困難を前にしている僕に、ギター業界の方から多くの励ましをSNSでいただき、ご来場いただいたお客様からもねぎらいのお言葉をたくさんいただき、ギターやっててよかったと改めて感じました。多謝多謝です。

演奏会は超満員で終了しました。会場から出てこられるお客様の表情も明るくて一安心でした。(僕は受付に残っていて演奏はまったく聞いていませんでした)。自分が主催した演奏会で100人以上のお客様が見えるのははじめてだったので、本当に感無量です。

怒涛の一日でクタクタになりましたが、終わってみれば何もかもが楽しく、またコンサートの企画しようと考えている自分がいます。ご来場いただいた皆様、応援してくださって皆様、本当にありがとうございました。

 

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『没後40年 熊谷守一 生きるよろこび』で知ったモリの一面

東京国立近代美術館でやっている「モリ」こと熊谷守一の回顧展にいってきました。岐阜出身でいまの要町あたり(いわゆる池袋モンパルナス)に住んでいた仙人のようなルックスの画家です。住まい跡地には熊谷守一美術館が建設され、現在は豊島区が運営しています。(こちらの美術館もこじんまりとしていてオススメです)

このたび開かれた展覧会は没後40年ということで、日本中から集められた200点以上の作品を集めた見応えのある展示。海外の画家からの影響がわかる構図比較や、手法の軌跡などとても面白い展示でした。

4歳で亡くなった息子さんを描いた『陽の死んだ日』は見ていてかなり「くる」絵でした。息子さんの死に顔を前にそれでも絵筆をとっている自分に気づき、30分でやめてしまったという手記が残されています。

明るい色調の抽象化された動物、昆虫、風景の人というイメージがどうしてもあるので、若いころに「轢死」を題材にして何枚もの絵を描いていたのにも驚きました。

「死を(文字通り)見つめ続けた向こうに、生が立ち上がってくる」こう言ってしまうと、とても陳腐だとも言えるけれど、1人の画家がそれを体現するように作品を残し続けたことを思うと、それを陳腐と言ってしまうのはやはり難しく感じられました。

モリといえば猫の絵、といっても過言ではないくらいポップで可愛い猫をたくさん描いた人で、グッズもかわいいものがたくさんありました。来年の3月までやっているので、ご興味あればぜひ。また、映画も来春に公開されるらしいです。

 

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(LEICA Q/Summilux 28mm f1.7)

写真は最寄り駅の竹橋駅構内。タイルにマスキングテープアートがほどこしてあってちょっと面白かったです。

THEピーズ 30周年記念武道館


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すげかったです。いい歳こいたオトナたちが日本中から集まって「シニタイヤツハシネー!」とか「オナニー禁止!」とか「デブジャージ!」とか飛び跳ねながら叫んでました(いずれも歌詞)。

芸能人のファンもたくさんきてて、まちゃまちゃがふつうに会場前でビール飲んで友達とテンションあげてたり、千秋がこの日のためにステッカー用意して人に配ってたり、本当に好きなんだろなー。

ギターのアビさんの手作りアンプの音は本当に奇麗で、こんだけおおきいハコでこんなライブハウスっぽい感じにできるんだなーとビビりました。ギター、ベース、ドラムというシンプルなスリーピースで、この大舞台でここまですごい音楽ができるのかってのにも本当に驚きました。

そして、こんなにいい顔でライブやってる人を見たことありません。喜びがにじみ出てくるのを止められない感じでした。

「みんな!生き延びてくれてありがとう!それだけだ!」というハルさんの叫びからの『生きのばし』、最後は客電をつけての『グライダー』。

まぶしい光に照らされて、いい歳こいたオトナたちがたくさん泣いてました。なかなかまっすぐここに来られなかったぶん、こみ上げる

ものがそれだけ多かったのでしょう。多くの人がいってましたが多幸感がハンパなかったです。この場にいられて良かったです。


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(新宿タワレコの全力の応援)

たぶん一生忘れないライブになると思います。

河野智美さんギターリサイタル「祈り」

河野智美さんギターリサイタル「祈り」に行ってきました。

 

とき:2013年9月14日

ところ:杉並公会堂小ホール

 

 

☆プログラム

■1部

告白のロマンサ(A.バリオス)

無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番BWV1001(J.S.バッハ~高田元太郎編)

フリア・フロリダ(A.バリオス)

大聖堂(A.バリオス)

 

■2部

ノクターン"夢"op.19(G.レゴンディ)

埴生の宿の主題による変奏曲(横尾幸弘)

祈り「いつくしみ深き」(C.コンヴァース~横尾幸弘編)

アヴェ・マリア(G.カッチーニ(ヴァヴィロフ)~河野智美編)

序奏とカプリス(G.レゴンディ)

 

■アンコール

カヴァティーナ(マイヤーズ)

 

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今年の春に昭和音大の卒業コンサートで行って以来の荻窪。30分ほど早くついたので、青梅街道を渡って昭和の香り残る荻窪ラビリンスに迷い込む。(比喩じゃなくてホントに迷った)。木枠にすりガラスが半分だけ入った窓のあるクリーニング屋さんで、職人気質のお爺さんが「鉄の塊」といった感じのアイロンを黙々とかけていたりするところです。

 

「ALWAYS三丁目の夕日的ノスタルジー」にちょっと浸って会場へ。ちょうど「オラシオン」と聞いていて、昭和の最後のほうにやった宮本輝原作の映画の馬の名前だなと懐かしく思ったりしました。

 

 

杉並公会堂はとても響きがいいホールで、加えて客席に緩やかな傾斜があり、前にNBAの選手とか大統領警護のSPとかが陣取らない限り、演奏者が良く見えるのもギターファンとしては嬉しいところ。やっぱり手元が見たいものです。

 

 

智美さん登場。編みこんだ髪を左サイドでアップして大きな花の髪留めでまとめています。衣装は今回のポスターに使われている黒い短衣にふわっとした白スカート。スリットが入っているみたいでギターを構えると右足が露出して、そこにギターのお尻を乗っけられるようになってます。

 

ギターは後で聞いたところ"Hugo Cuvilliez"のものとのことでした。後付で10弦ギターにするための4弦アタッチメントを作っていたりもする若い製作家で、ラルースや飯田さんが使っているギターですね。「お、前とギター違う!」とか、僕もだんだんマニアックな見方になってきました。

 

 

演奏でとても印象的だったのがバッハのヴァイオリンソナタのプレストでした。左手がヒラヒラと羽のように指板上に踊り、ぐいぐいと音楽を推進していきます。右手はもうナゾの世界でした。技術的なことは専門家ではないので良く分からないですが、「大聖堂」の荘厳なアレグロと同じように何か強い祈念のようなものを感じました。

 

 

今回のコンサートは「Oracion(祈り)」と題されています。

こういう風にいってしまうのも何か心苦しいところではあるのですが、3.11以降、多くの祈りが人々の手や口から生まれてます。たぶん「祈り」の統計を取ったら2011年を境にグラフの傾きがすごいことになっているでしょう。

 

多くの人がほかの人に思いをはせ、心配し、無事を祈ったことと思います。言い換えれば、信仰を持つと持たずとに関わらず、多くの人が自分の中にも「祈り」があることを知ったのかもしれません。皮肉なことに切実な「祈り」が生まれる場には、こういった重たい苦難がつきものなのかもしれません。それはいわば逆説的に祈りの母たるものになっている。

 

 

受難と信仰はともにあるという考え方は、キリスト教の根幹になっているのは言うまでもないことですが、それと同じように困難が祈りをわれわれにもたらすのかも知れません。ひたむきに突き進む終章のプレストの激しさにそんなものを感じました。

 

 

そして、そこからのフリア・フロリダの流れがとても良かったです。クラシックギターではとても有名な曲で、ゴンドラに乗っておだやかな水面をキャッキャウフフしてる感じの曲。津波や洪水は去り、静かな水面が戻ってきたのかもしれません。あるいは「このまま永久に夕凪」をという願いなのかも。

そして願いは「大聖堂」で荘厳な祈りへと昇華していきました。

 

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第2部はレゴンディの美トレモロ曲にはじまり、イギリス民謡の「埴生の宿」の変奏曲へ。

プログラムノートでは『ビルマの竪琴』に触れられていましたが、僕はこの曲を聴くとまっさきに『火垂るの墓』のあのラジオから流れている方が頭に浮かびます。他にも『純情きらり』で戦時中にオルガンを囲んでこっそり歌うシーンがあって、どうしても戦争と結びついてしまっています。悲惨な境遇の中でも「音楽を忘れない」「音楽という慰めがある」というシンボルのようになっている曲なのかもしれません。とても美しい変奏です。

 

 

そして「いつくしみ深き」から「アヴェ・マリア」と続きます。ある意味、今回の演奏会のコンセプトをそのまま表しているのかもしれません。第1部が「祈り」を外から対象として描いたものとするならば、第2部は内から湧き出てくるほうの「祈り」といったところでしょうか。

 

以前聞いたときよりもさらに透明感あふれる演奏で、特に「アヴェ・マリア」のときの会場の静謐が印象的でした。コンサートで時々ある、自分が聴いてるんだが、自分の中で音楽が鳴っているんだかよくわからなくなる感覚がありました。これを味わえるのはやはり至福です。

 

 

静謐を味わった後は大団円の「序奏とカプリス」。ちょうど第九の三楽章から四楽章のつながりみたいな感じですね。最近いろいろな人の演奏を聴いてエネルギッシュな曲の印象がありましたが、とても上品な演奏でその違いを楽しめました。また、なんというか非常に個人的な「祈り」をこめられているように感じられました。

 

 

終演後はアルバムを購入し、サインをいただきました。

また遅くまで打ち上げに参加していろいろお話。(いつもスンマセン)。

さっそくCDを聴いていたら、なんだかPCに向かってパタパタと書きたくなってしまいました。

 

 

「祈りはちいさな点であり、

祈りはすべてである。

祈ることほど謙虚なことはなく、

祈ることほど偉大なことはない」

(~リイクニ・ノンデライコ『王立宇宙軍』)

 

大好きな映画の台詞を思い出しました。

 

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