河野智美さんギターリサイタル「祈り」に行ってきました。
とき:2013年9月14日
ところ:杉並公会堂小ホール
☆プログラム
■1部
告白のロマンサ(A.バリオス)
無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番BWV1001(J.S.バッハ~高田元太郎編)
フリア・フロリダ(A.バリオス)
大聖堂(A.バリオス)
■2部
ノクターン"夢"op.19(G.レゴンディ)
埴生の宿の主題による変奏曲(横尾幸弘)
祈り「いつくしみ深き」(C.コンヴァース~横尾幸弘編)
アヴェ・マリア(G.カッチーニ(ヴァヴィロフ)~河野智美編)
序奏とカプリス(G.レゴンディ)
■アンコール
カヴァティーナ(マイヤーズ)
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今年の春に昭和音大の卒業コンサートで行って以来の荻窪。30分ほど早くついたので、青梅街道を渡って昭和の香り残る荻窪ラビリンスに迷い込む。(比喩じゃなくてホントに迷った)。木枠にすりガラスが半分だけ入った窓のあるクリーニング屋さんで、職人気質のお爺さんが「鉄の塊」といった感じのアイロンを黙々とかけていたりするところです。
「ALWAYS三丁目の夕日的ノスタルジー」にちょっと浸って会場へ。ちょうど「オラシオン」と聞いていて、昭和の最後のほうにやった宮本輝原作の映画の馬の名前だなと懐かしく思ったりしました。
杉並公会堂はとても響きがいいホールで、加えて客席に緩やかな傾斜があり、前にNBAの選手とか大統領警護のSPとかが陣取らない限り、演奏者が良く見えるのもギターファンとしては嬉しいところ。やっぱり手元が見たいものです。
智美さん登場。編みこんだ髪を左サイドでアップして大きな花の髪留めでまとめています。衣装は今回のポスターに使われている黒い短衣にふわっとした白スカート。スリットが入っているみたいでギターを構えると右足が露出して、そこにギターのお尻を乗っけられるようになってます。
ギターは後で聞いたところ"Hugo Cuvilliez"のものとのことでした。後付で10弦ギターにするための4弦アタッチメントを作っていたりもする若い製作家で、ラルースや飯田さんが使っているギターですね。「お、前とギター違う!」とか、僕もだんだんマニアックな見方になってきました。
演奏でとても印象的だったのがバッハのヴァイオリンソナタのプレストでした。左手がヒラヒラと羽のように指板上に踊り、ぐいぐいと音楽を推進していきます。右手はもうナゾの世界でした。技術的なことは専門家ではないので良く分からないですが、「大聖堂」の荘厳なアレグロと同じように何か強い祈念のようなものを感じました。
今回のコンサートは「Oracion(祈り)」と題されています。
こういう風にいってしまうのも何か心苦しいところではあるのですが、3.11以降、多くの祈りが人々の手や口から生まれてます。たぶん「祈り」の統計を取ったら2011年を境にグラフの傾きがすごいことになっているでしょう。
多くの人がほかの人に思いをはせ、心配し、無事を祈ったことと思います。言い換えれば、信仰を持つと持たずとに関わらず、多くの人が自分の中にも「祈り」があることを知ったのかもしれません。皮肉なことに切実な「祈り」が生まれる場には、こういった重たい苦難がつきものなのかもしれません。それはいわば逆説的に祈りの母たるものになっている。
受難と信仰はともにあるという考え方は、キリスト教の根幹になっているのは言うまでもないことですが、それと同じように困難が祈りをわれわれにもたらすのかも知れません。ひたむきに突き進む終章のプレストの激しさにそんなものを感じました。
そして、そこからのフリア・フロリダの流れがとても良かったです。クラシックギターではとても有名な曲で、ゴンドラに乗っておだやかな水面をキャッキャウフフしてる感じの曲。津波や洪水は去り、静かな水面が戻ってきたのかもしれません。あるいは「このまま永久に夕凪」をという願いなのかも。
そして願いは「大聖堂」で荘厳な祈りへと昇華していきました。
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第2部はレゴンディの美トレモロ曲にはじまり、イギリス民謡の「埴生の宿」の変奏曲へ。
プログラムノートでは『ビルマの竪琴』に触れられていましたが、僕はこの曲を聴くとまっさきに『火垂るの墓』のあのラジオから流れている方が頭に浮かびます。他にも『純情きらり』で戦時中にオルガンを囲んでこっそり歌うシーンがあって、どうしても戦争と結びついてしまっています。悲惨な境遇の中でも「音楽を忘れない」「音楽という慰めがある」というシンボルのようになっている曲なのかもしれません。とても美しい変奏です。
そして「いつくしみ深き」から「アヴェ・マリア」と続きます。ある意味、今回の演奏会のコンセプトをそのまま表しているのかもしれません。第1部が「祈り」を外から対象として描いたものとするならば、第2部は内から湧き出てくるほうの「祈り」といったところでしょうか。
以前聞いたときよりもさらに透明感あふれる演奏で、特に「アヴェ・マリア」のときの会場の静謐が印象的でした。コンサートで時々ある、自分が聴いてるんだが、自分の中で音楽が鳴っているんだかよくわからなくなる感覚がありました。これを味わえるのはやはり至福です。
静謐を味わった後は大団円の「序奏とカプリス」。ちょうど第九の三楽章から四楽章のつながりみたいな感じですね。最近いろいろな人の演奏を聴いてエネルギッシュな曲の印象がありましたが、とても上品な演奏でその違いを楽しめました。また、なんというか非常に個人的な「祈り」をこめられているように感じられました。
終演後はアルバムを購入し、サインをいただきました。
また遅くまで打ち上げに参加していろいろお話。(いつもスンマセン)。
さっそくCDを聴いていたら、なんだかPCに向かってパタパタと書きたくなってしまいました。
「祈りはちいさな点であり、
祈りはすべてである。
祈ることほど謙虚なことはなく、
祈ることほど偉大なことはない」
(~リイクニ・ノンデライコ『王立宇宙軍』)
大好きな映画の台詞を思い出しました。