写真集が好きで、アマチュアながら写真を撮るための刺激を受けたいときや作風に魅入られたときなど(財布に余裕がある限りで)ときどき買っています。
最近手に入れた二冊の写真集がたまたま家族の写真だったのですが、それらを眺めていたら、昔から持っている写真集をまた見たくなったので、その一冊を合わせた三冊をご紹介しようかと思います。
金川晋吾『father』
一冊目は前から気になっていた金川晋吾さんの写真集『father』です。蒸発グセのあるお父さんを中判カメラで静かにとらえた作品集。蒸発というとなにか修羅場のようなものを想像しがちですが、そんなドタバタは無く、ある日ふっといなくなってしまうお父さん。
残された走り書きのメモには「やっぱり生きていくのが面倒くさい」と、書き記してあり、こちらが写真集の帯にも使われています。
ことばだけを見ると何か不穏な想像をしてしまいそうになりますが、蒸発したときと同じく、戻ってくるときも行きつけのスナックにふっと戻ってきているという、ちょっとつかみどころのない人物のようです。
巻末に金川さんが当時書いていた日記が載っているのですが、ぬぐきれない人生におけるシリアスネスからの逸脱というか、なにかこう、空虚ではあるが悲劇的ではないというか、言い表せない虚無を相手にしているようなうすい絶望感に包まれています。
それは大きな絶望感ではなく、毎日足ぶみをしていたら、すこしずつすこしずつ地面がえぐれて行っているような、生命にヤスリがかけられていっているような静かな絶望です。ただ、写真にはそのギリギリのところでの生命力の片鱗のようなものが写っていて、それがまたなんともやるせない気持ちになってしまうというか。
なかなか言葉では表せない気持ちにさせられるのですが(だから写真で表現するのでしょうけれど)、VICEにとても詳しいインタビューが載っているので、興味があったらぜひぜひ読んでほしいです。
吉田亮人『THE ABSENCE OF TWO』
もう一冊は、吉田亮人さんの『THE ABSENCE OF TWO』です。こちらは1月に発売されたばかりの新刊で、まだ書店の扱いも多いかと思います。現在出版記念イベントが行われていて、公式サイトではそちらのスケジュールも掲載されています。
吉田さんのおばあちゃんと年下のイトコ・大輝さんの二人の生活のドキュメンタリー写真です。生活の様々な面で介助が必要になったおばあちゃんと、それに優しく寄り添う大輝さんの姿がモノクローム写真で綴られています。
こう聞くととてもハートウォーミングな写真集に感じられますが、ページをめくっていったさいごに、写真集のタイトル"THE ABSENCE OF TWO"の意味を知ることになります。
「苦しくて涙が止まらない」「ずっとこの写真のことを考える一日が続いた」…などの反響が帯に記されていてますが、僕もこの写真集を見終わって心穏やかではいられなかったのは確かです。
こちらは『KYOTO GRAPHIE京都国際写真祭2017』という写真祭に展示されたもので、その様子は上記の取材記事に詳しく書かれています。ぜひぜひ紙に印刷された写真で見てほしい作品群です。
上田義彦『at Home』
三冊目はこちら、著名人のポートレートを多く手掛け、広告写真家としても著名な上田義彦さんの『at Home』です。奥さんである女優の桐島かれんさんと、その間に生まれたお子さんたちとの生活を13年間にわたって撮影し続けたファミリーポートレートです。
ライカM4とモノクロームフィルムで撮り続けられた写真群。上田節ともいえる上品な淡いモノトーンの写真集で僕のお気に入りの一冊です。おそらく絶版になっていてなかなかお目にかかることが無かったのですが、数年前にクレマチスの丘を訪れたときにミュージアムショップで手に入れることができました。
残念ながら竹芝にあった上田さんの「ギャラリー916」は昨年閉廊していしまい、おおきなプリントで見る機会は減ってしまいましたが、写真集が手元にあるだけでもまあよかったなと考えるようにしています。
海、洋館のような家、庭、母子、増えていく家族…桐島かれんさんの美しさもあってどこか現実離れした物語のような家族写真です。ただそれもやがては失われていくものであり、それをとどめるささやかな営みが写真だということを強く感じる一冊です。
家族に、特に年老いてきた両親にレンズを向けるのは、なんだか難しいと感じるのは僕だけでしょうか。パッと撮るのは大丈夫なのですが、ちゃんと撮ろうとすると、どこか気恥ずかしく、写真を撮る意味を必要以上にあれこれと考えてしまう気がします。
(富士フィルム30000人の写真展に出した1枚)