Take your Time,Take your Life

クラシックギター、ソロギター、カメラ、音楽、映画がすきです。

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聖地巡礼 エレファントカシマシゆかりの地はEasy Go

聖地巡礼は意志をともなう

みなさんは聖地巡礼ってやつしたことありますでしょうか?

僕は訪れた先がたまたまドラマ『Woman』ロケ地(雑司ヶ谷)だったり、アニメの舞台(秩父とか沼津とか)になっていたことはあったのですが、それはいわば偶発的な聖地巡礼で、そんなものは聖地遭遇とでもいったほうがいいものでした。

聖地巡礼というからには、やはり確固たる意志と信仰心をもってなされなければなりません。そんなわけで今回は初めて、出かける前から「今日は聖地巡礼したるぞ」という強い志をもっていってきました。

 

巡礼地として選んだのは、昨年デビュー30周年の全国都道府県ツアーを終え、今も圧倒的なライブパフォーマンスで日本のロックシーンを刺激し続けているバンド、エレファントカシマシ(以下エレカシ)ゆかりの地、北区赤羽にある赤羽台団地周辺です。

 

 

いまや51歳になった彼らが出会ったのは、38年前の北区立赤羽台中学校1年6組のクラスメイトとしてでした。その後メジャーになった彼らは、高度経済成長期の象徴であり、幼き日の彼らが住んでいた赤羽台団地で「桜の花、舞い上がる道を」という曲のPVを撮影しています。

 

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このPVに出てくる坂はファンの間で有名な聖地とされています(いるはずです)。できれば、みやじ(宮本浩次の愛称)が立っていた黄色い石(車止め)のうえに立ってみたい!ということで巡礼の旅にでかけることにしたのです。

その場所を求めて

赤羽台団地はJR赤羽駅西口から徒歩5分くらいの台地の上にあります。駅を出て坂を上がると、かなり広い台地が広がり、何棟もの団地群が巨大な遺跡のように並んでいます。それぞれの棟には住人の方がすこしだけ住んでいるようで、取り壊されずに昔のままの姿を残していました。

 

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(Nikon fm3a/nikkor 45mm f2.8/Kodak potra 400)

団地は50くらいの棟からなり、1棟には50世帯くらいが居住できそうですが、現在、住んでいるのは1、2世帯のようで、団地全体のキャパシティにたいしてほとんど人がいない状況でした。(みやじが住んでた10号棟はすでに取り壊し済みとのこと)

 

ロケ地の坂を探して歩き回りましたが、道幅や手すりなどがちょっと違って、ハズレ続きです。それにしても、歩き回ってもすれ違うのは数人で、駅からほど近いのに異常に静かな空間でした。

休日の午後だというのに団地内の公園には人っ子一人おらず、昭和で時間が止まっているかのような錯覚を覚えます。住人らしき方との遭遇は、回覧板をポストに入れていたおじいさんくらいでした。

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(Nikon fm3a/nikkor 45mm f2.8/Kodak potra 400)


団地を歩き回ること40分ほどでしょうか。それらしき坂を発見しました!スマホyoutubeを見て、柵の形や木の生え方、アングル等を確認し、間違いないと確信。(PVの20秒あたりから出てくる坂)

 

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PVの中でみやじが立っていた黄色い石(車止め)が坂の下の方にあるはずなのですが、いくら探しても見つからず…引っこ抜かれて、あとを埋めた形跡を発見しました。どうやら、ちょっと前に撤去されてしまったようです。残念!

 

赤羽駅周辺散策

失意のなか団地散策を終えて、向かったのは「昔ながらの喫茶店友路有」(むかしながらのきっさてんとぅもろう)という純喫茶。こちらは赤羽駅東口にあります。

 

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メニューには「先代から味を引き継いだナポリタン」との注記が。ということは、きっとみやじもこれを食べたに違いない!というわけで、一も二もなくいただきました。ウマい!純喫茶はやはりナポリタンかエビピラフに限ります。ビバ昭和。

 

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食後は赤羽駅東口を散策。こちらはヤマハが全国的にやっている音楽教室で、10代のエレカシメンバーがスタジオ練習していたといわれています。きっとRCサクセションのコピーなどを一所懸命やって、キヨシローやチャボになりきっていたのでしょう(たぶん)。

 

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(Nikon fm3a/nikkor 45mm f2.8/Kodak potra 400)

腹ごなしに荒川まで歩いて水門を眺めたり、サイクリングロードを走る少年たちを撮ったりして最終目的地へ向かいました。

 

 純喫茶デア

駅前のアーケード街にある「純喫茶デア」。ここは若かりしエレカシメンバーがたまり場にしていたといわれている聖地オブ聖地のひとつです。こちらも「昔ながらの喫茶店友路有」と同じか、それ以上の昭和感ある店でした。(お店の人によると45年くらいやってるらしいです)

 

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初夏を感じる日差しのなかを歩いてきたので、アイスコーヒーの飲み初めをして、店内を見渡すと…

 

発見!

 

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はい。左下がみやじのサインです。ちゃんと「宮本浩次」と書いてあります。そしてハービー山口さんが撮ったと思われる写真と一緒に額装されていました。

1998年というから、ちょうど20年前です。エレカシの大ヒット曲「今宵の月のように」が世に出た直後くらいでしょうか。(「北区赤羽」の関連で山田孝之も訪れていたようです。)

 

お店の方に許可をいただいて撮影し、みやじたちがよく陣取っていた席を教えていただきました。残念ながらその席はほかのお客さんで埋まっていて、案内されたのは隣の席。でも、ちょうどそのお客さんたちが楽し気に話している姿が、メンバーがガヤガヤやってるいるような気がして、何とも言えない、いい気分になりました。

 

赤羽台団地は駅から近くてEasy GO。ぜひぜひ足を運んでみられてはいかがでしょうか。

 

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1枚の写真も発表しなかった写真家 ヴィヴィアン・マイヤーにあこがれて

ヴィヴィアン・マイヤーという人を知っていますか?ヴィヴィアン・マイヤー(1926-2009)は、アマチュア写真家として10万枚以上のフィルム写真を撮影しましたが、それらを1枚も発表することなくその生涯を終えた女性です。

死亡する2年前の2007年に、借りていたレンタル倉庫の維持費を支払うことができなくなり、その中に保管されていた夥しい数の未現像のフィルムがオークションに掛けられました。

落札したのは20世紀のニューヨーク文化を調べていた収集家のジョン・マルーフ。1950年代のニューヨークの様子が収められているフィルムが、半世紀以上の時を経て現像されることになりました。

そしてちょうど10年前の2008年6月にマルーフがヴィヴィアンの作品を写真投稿SNSのFlickrに公表したことから、ヴィヴィアンは「発見され」、一気に世界に知れ渡ることになります。

 


このオークションも倉庫の管理会社が中身を処分するために開いた、いわばガラクタの処分市みたいなものだったといわれています。マルーフはその中に埋もれていたフィルムをたまたま手に入れただけだったのです。

写真を見たマルーフはそのクオリティに驚き、検索するも何の情報もでてきません。なぜならヴィヴィアンは偽名まで使い、人とのかかわりをなるべくもたないように生きていたため、その生の痕跡がほとんど残されていなかったからです。

ヴィヴィアンは内向的で、人付き合いもあまりよくない偏屈な女性だったといわれ、ベビーシッターの仕事で得られるわずかな賃金を得て、孤独な生活をしながら、発表をすることもなく写真を撮り続けました。友達がいた気配もなく、家族と呼べるような人もおらず、結婚もしていませんでした。

彼女は蒐集家というか、モノが捨てられない性格だったようです。新聞を捨てられずに部屋の片隅に積み上げ続けていたり、チケットの半券をずっと保管していたようで、こうしてーー僕らにとって幸いなことにーー膨大なフィルムも残されることになりました。

のこされたわずかが手掛かりをもとに、マルーフはヴィヴィアンの遺したフィルムをさらに買い集め、少しずつ公表していっています。このマルーフによる数奇な発見と運命はドキュメント映画にもなりました。

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現像せずに、発表もせずに、ただひとつのレンズとなって写真を撮り続けたヴィヴィアン。承認欲求にがんじがらめにされ、「いいね」の海にどっぷりとつかって右往左往するわれわれとは対局の生き方。その生は、ひょっとしたら現代においてこそ、よりその輝きを増していくのかもしれません…彼女の写真がまさにSNSによって拡散され、日の目を見ることになったことは皮肉ですが。

 

ローライフレックス

ヴィヴィアンが主に使っていたのはローライフレックス製(カメラ好きにはローライという愛称で呼ばれています)の二眼レフ(ピントを合わせるレンズと写真を撮るレンズがあるので二眼)で、この映画を見て僕もボロッちい中古のローライを買ってしまいました。

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「ローライフレックススタンダード」というカメラで、型番からすると1938年製。まさにヴィヴィアンが生きていた時代からあるカメラです。専用のケースがついて30000円弱でした。

ピントレンズはちょっと曇っていますが、テイクレンズはそこそこキレイで、何よりも80年の時を経てちゃんと動きます。1938年と言えば、ヒトラーがオーストリアを併合したりして、ヨーロッパの覇権争いが激化していた年ですが、これが当時のドイツの技術力の高さなのでしょうか。

 

写真集

そして、ヴィヴィアンの写真集も買ってしまいました。このご時世、探せばネットでいくらでも写真を見ることは出来ますが、やはり紙に印刷されたもので写真を見るという体験は何物にも代えがたいものです。

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ヴィヴィアンの写真集はいくつか出版されていて、神保町の写真集が豊富な古本屋や書店で立ち読みしましたが、Herper Designから出版されている"Vivian Maier: A Photographer Found"がオススメです。タイトルはfinding(探す、求める)とカメラのfinderにかけてあるのかもしれません。

タテ32.5cm、ヨコ27cm、厚さ3cmという、鈍器に使えるんじゃないかというサイズですが、入手できるものの中では作品数が多く、プリントもきれいです。ばったり出会ってとっさに撮ったのか、ピンボケしている1964年のオードリー・ヘプバーンの写真なども収録されていて、ちょっと微笑ましいです。


もし興味があったら、写真集と映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』をぜひ見てみてください。そしてこの数奇な写真家の運命と、その生のもつ意味に思いをはせてみるのも面白いかと思います。

なにより、こんなすごいことが実際あるんだなーとビックリします。もしかしたら第二、第三のヴィヴィアンが、今日も誰に知られることもなくシャッターを切り続けているのかもしれません。

(下の写真はローライを買ったばかりの時に撮ったもの)

 

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(Rolleifrex standard,fuji neopan across 100)

川崎のレトロスポット「小向マーケット」で写真を撮るのは楽しい

1953年

川崎にある巨大な東芝工場(株式会社東芝 小向事業所)の近くにある「小向マーケット」という小さい商店街に、カメラ仲間とフィルム写真さんぽにいってきました。
こちらは「香ばしい街並みブログ」というノスタルジックな街並みを紹介している素敵なサイトから情報を得て知ったのですが、想像にたがわぬいい写真スポットでした。

小向マーケットは昭和28年(1953年)に作られたかなり年季の入った商店街です。
1953年と言えば、日本ではNHKや日テレの放送が始まり、あわせてテレビコマーシャルが流された年。映画ではオリジナルの方の『君の名は』が大旋風を巻き起こしていたようです。また、この年からスーパーマーケットが各地に作られたと言われています。

 

アクセス

アクセスとしてはJR南武線の「鹿島田」駅から歩いて約25分。けっこうな歩きでがあります。バスでも行けるのですが、ランチを食べようと鹿島田駅近辺を少し歩いてみたところ、昔の街並みが少し残っているようなので、僕たちは写真を撮りながら目的地に向かいました。

 

 (JR「川崎」駅の西口にある「川崎ラゾーナ広場」から「小向」停留所まで、バスが出ているそうなので、こちらでも行くことができます。こちらは所要時間7分)

 

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道中、昭和な感じの美容院など、味のある家屋や建築物などがあったので写真を撮っていたところ、「何しに来たの?」と話しかけてくるおばさまが。昔の街並みが残っているということで、写真を撮りに来た旨を伝えると、「ときどき、そういう人が来てるわよー」とのこと。こういう現地の方々とのスモールトークもカメラさんぽの醍醐味です。写真を撮り撮り歩いて約45分ほどで到着しました。

 

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外装がトタンでできた20メートルほどの2棟の木造長屋の間に、薄黄色い半透明のトタン屋根が渡され、写真のような、小さなアーケード街になっています。


道幅は3メートルもないくらいで、見上げると当時は鮮やかであったであろう万国旗が、色あせた姿で垂れ下がっています。半透明の屋根からは柔らかな光が差し込んでいて、ストリートポートレートを撮るにも面白いスポットです。

 

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もとは20店舗くらいがあったそうですが、今は4店舗しか営業していないようです。
しかも写真を撮りに行った日曜日は休業日でした。全店舗シャッターが下りていたのは残念でしたが、おかげでゆっくりと写真を撮ることができました。金属製のシャッターではなく、昔ながらの木戸がおりているお店もありました。

 

フィルム写真さんぽということで、最近メインに使っているLeica M4に、年始にゲットしたSummarit 50㎜ f1.5をつけて撮り歩いてきました。(ちなみにこの近所に巨大なBOOK OFFがあったので中古カメラを見に行ったのですが、ジャンクも含めてあまり数多くはなかったです)。

 時が止まったかのような場所で、通りがかったおばあちゃんや少女とお話ししたり、写真を撮らせてもらったりしました。地元の住人の方々が生活道路として使っているようで、僕たちが滞在した1時間ちょっとの間でも、10数人くらいの地元の人がマーケットを通り抜けていきました。伺った話によると、こちらもときどき我々のような人が訪れたり、テレビの取材が来たりしているとのことでした。

 

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ここからだと多摩川を渡って歩いて神奈川から東京へ帰れそうだったので、日の傾き始めたなか多摩川大橋を渡り、京急多摩川線の「矢口渡」駅から帰路へ。昭和の雰囲気が色濃く残る小向マーケット周辺、写真さんぽには超オススメです。

 

バンドトモフ ワンマンライブ初参戦 @渋谷O-WEST

トモフスキーとの出会い 

僕がトモフことトモフスキー(大木知之)を知ったのは、ちょうど昨年の今頃でしょうか。あの忘れえぬ2017年6月9日、「THEピーズ武道館」の熱狂から、転がり落ちるようにいわゆる「おじロック界隈」(ピロウズ、コレクターズ、フラカンなどなどを中心としたアラフィフベテランバンド)にハマり、ライブに行く頻度がかなりあがりました。

そして「はる」こと大木温之さんには双子の弟・トモフがいて、こちらもおなじくミュージシャンであることを知るのに、そう長くはかかりませんでした。

トモフを初めてみたのは猪苗代湖畔で行われるフェスのオハラブレイク2017。伊坂幸太郎原作の芝居の音楽担当をしていて、トモフのライブもありました。ワイヤレスがどこまで使えるかと、ステージを飛び出してお客さんの間を抜けて、会場をズンズン歩いていく姿にびっくりした記憶があります。

お客さんとの間に垣根を作らないというか、サービス精神がすごいというか、呼び止められてはサインに応じていた姿を覚えています。オハラブレイクでははるさんの「1人ピーズ」のライブもあったのですが、そこにはドラムで飛び入り参加、なんでもやっちゃうぶっ飛んだミュージシャンだというのが第一印象でした。

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ファンにサインするトモフ。奥でギターのチューニングをしてるはるさん。

調べてみるとマルチプレイヤーで、作詞作曲もすべて自分でやり、宅録でかなりの数のアルバムを自主制作していました。アルバムのイラストレーションやデザインもやっていて、マルチプレイヤーなだけでなく、歌って弾いて描けるマルチアーティストといったところです。

楽曲はキャッチーで一回聞けばコーラスにノッてくのも簡単で、実際ライブ映像などを見ると、ホントに楽しそうなのばかり。一方で詩は前向きの諦めというか、まっすぐなひねくれというか、リアリティのあるロマンチストというか、そういった相反するものをいっしょくたによじり合わせたような、独特の言葉の連なりからなっています。これにやられてしまう人も多いようで、僕もそのひとりになりつつあります。

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しかも発信もほとんど一人でやっていて、公式サイトのBBSにファンから寄せられたメッセージにも丁寧に返信をしています。ある種、この個人発信の時代を2000年ごろから先取りしてやっていた人だったわけです。

 

 水中音楽祭にて

 次に見たのは、だいぶ飛んで今年5月の水中音楽祭でした。スリーピースバンド「水中、それは苦しい」のジョニー大蔵大臣が主催するジャンルミックスなフェスで、出演しているミュージシャンがそのへんを歩き回って酒を飲んでたりする、とても牧歌的なフェスです。

ちょうど客席を探して歩いていたところ、前から歩いてきたトモフが気軽に挨拶してくれました。この「そのへんのにーちゃん感」が半端ない人ですが、ステージに立つと、もうホントにすんごいグルーブを作って、お客さんは盛り上がって、このギャップにやられてしまいました。なんといっても爆発力がスゴイ。

 「ちゃんとしたライブハウスでやるのをみたい」という気持ちがどんどん高まっていたところに6/2の渋谷O-WESTワンマンの情報。流れが来ているというやつです。いくしかない。

 当日

開場2時間前に様子を見に行くと、まだほとんど人もいなかったので、いちど道玄坂にあるサンマルクで時間をつぶし、戻ってきてみると7,80人のお客さんが集まっていました。その中に加わり開場を待っていると、怒髪天の増子さんぽい人が歩いているのを発見。(のちのMCによると増子さんがきてるみたいだったので、やはり僕が見たのは間違いなかったようです)

整理番号は130番台で前から6,7列目くらいのなかなかいいポジションに陣取れました。トモフは猫のイラストを多数描いていて、オフィシャルグッズの多くにもそのイラストが使われているのもあり、ステージ奥のカーテンには照明で猫のシルエットが映写されてました。(はるさんがカーテンを引っ張ってその猫を動かそうとしてるのがおもしろかった)

 

始まってからのことはもう、ひたすら楽しすぎて、コーラスで歌って、こぶしを突き上げて、ぐっちょんぐっちょんに盛り上がってあまり覚えてないです。聞いてみたいと思っていた「作戦会議」「映画の中」をアンコールでやってくれて、もうたまらん感じでした。

下にセットリストを書き起こしました。たぶん3時間弱くらいあったと思いますが、ホントあっという間の時間でした。終わった後にはひたすら多幸感と心地よい疲労感だけが残りました。これを言葉でいろいろ表したいのですが、なんとなく無粋な気がしてしまうので、このへんで。オハラブレイク2018も楽しみです。

 

 バンドトモフ 渋谷O-WESTワンマン セットリスト

スポンジマン(short.ver)
不死身FUNK

ムカシミタイニハアソベナイ
その2つ以外は
過去のドレイだ生きた化石
後ろ向きでOK
友達いなそー
ひとりに戻るんだ
引っ越し前夜
マイナスはマイナスのまんま
カオに出すな
Go!Go!Go!
コインランドリーデート
SKIP
いい星じゃんか!

(休憩)

新曲「52」
過渡期
フミキリの悪魔
人間
タイクツカラ
スピード
真夏
こころ動け
都合のいいジャンプ~不死身FUNK

○アンコール
作戦会議
フジミ(オリジナルver)
無計画とゆう名の壮大な計画
我に返るスキマを埋めろ
映画の中~スポンジマン~脳~歌う52才

ある若いギタリストの死とその兄の話 テレンス・マリック『ツリー・オブ・ライフ』を見る 

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テレンス・マリック監督作品『ツリー・オブ・ライフ』を見かえしました。いま是枝監督『万引き家族』の受賞で沸いている、カンヌのパルムドールを2011年に受賞している作品です。パルムドールと言えば、何をおいても『パルプフィクション』が好きですが、この『ツリー・オブ・ライフ』にはまたちょっとした思い入れがあります。

 

冒頭から宇宙の誕生、世代交代を繰り返してきた生命、ある種の絶滅…など地球の歴史をなぞるかのようなシーンが繰り広げられ、やがてその歴史の末端の人間の一家族の物語になっていきます。この家族とはテレンス・マリック監督自身の両親と兄弟です。

レビューで多くの方が触れている通り、ちょっとほかに類を見ないくらい映像が美しい作品です。このまま額にいれて美術館に展示できるくらいの画です。乳幼児や少年の目線から見える世界や、自然光に拘った画作りに圧倒されます。今なら8Kで見てみたいと多くの人が思っているのではないでしょうか。

ストーリーは物議を呼んだくらいに断片的で説明不足で、出演者であるショーン・ペンも「意味不明」とコメントしたらしいです。劇中でも神との対話とみられる突然のやりとりが何度もあります。

冒頭では旧約聖書の引用がされ、タイトルは直訳すれば『生命の樹』。いうまでもなくエデンの園に生えていた例の樹で、徹頭徹尾キリスト教的な世界観の物語です。恩寵が「光」で表され、この作品の随所でその美しさを使った演出がなされます。音楽もほぼクラシックで、宗教曲が多用されます。

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 LR

劇中、少年時代に「LR」という愛称でよばれている弟(三兄弟の次男)がクラシックギターを練習しているシーンが何回か出てきます。彼のモデルになっているのはラリーという名の監督の弟(マリック監督は映画と同じく三兄弟の長男)で、20世紀を代表するクラシックギターの巨匠・セゴビアの教えを受けるべく、アメリカからスペインに渡ったといわれています。

しかし、ラリーは留学先で伸び悩み、不幸なことに自ら両手の指の骨を折ってしまったそうです。ギタリストが指を自ら折るほどの挫折、絶望は想像することすらむずかしく、本当に胸が痛くなる話です。

さらに不幸なことに、心配した父が大西洋を渡ってラリーを訪ねたときには、彼はすでに自ら命を絶っていました。映画でも同じく弟の死の知らせを受け取るシーンがあります。直接その死の描写はないのですが、どうやら亡くなったということが間接的に描かれ、一家に暗い影を落とすこととなります。

若手のギタリストたちの渡欧

僕の友人にも若いギタリストいて、やはり彼らの多くもクラシックギターの本場であるヨーロッパで研鑽を積むために留学をしています。(日本のクラシックギター界である程度実績を残すと、ほぼおきまりのコースとして留学という道が開けてきます)そして留学中、あるいは留学後に成長した姿を見せてくれているところを見るに、やはり渡欧して得るものは多いようです。

自らの音楽家としての成長の確認と実績作りのために、彼らは現地で数多く開催されているコンクールに出場します。しかしながら、世界中から腕自慢が集ってくるコンクールで実績を残せる人は、そう多くはありません。

あるときにドイツでの長期間留学から帰ったギタリストが「(練習の成果が出ずに)気がおかしくなりそうなほどだった」ということを話していました。飄々としたお調子者の彼の口から出た言葉に、衝撃を受けたのを今でも覚えています。
60年代のテキサス州におけるクラシックギターシーンの様子は知る由もありませんが、ヨーロッパとの格差という点ではおそらく状況は似ていて、ラリーが味わった挫折もより具体的なものとして感じられます。

 

家族と音楽

ブラッド・ピットが演じる厳格な父親・オブライエンもマリックの父親がモデルとなっているようです。かつては音楽家を志していたが夢叶わず、その思いを長男テレンスではなく次男ラリーに託したようでした。

劇中にはピアノやパイプオルガンでバッハを弾いたり、次男のギターに伴奏をつけたりするシーンも出てきます。実際にシーンとしてはないけれど、「譜めくりが乱暴だ」と父に折檻されたという回想シーンがあり、音楽が一家の中で大きな役割をもっていたことが示されます。
次男ラリーがテラスでギターを練習していて、それにオブライエンがピアノ伴奏をして二重奏する場面があるのですが、とても短いけど美しいシーンです。これがのちの悲劇につながっていくと思うと、とても悲しいシーンでもあるのですが。

 

つながっていく

父親の夢を託され、60年代にテキサスからスペインに渡り、不幸な運命をたどったギタリストがいた。しかもその兄は、いまとなっては名優たちが「金を払ってでも出演したい」という映画界の巨匠になっている。

僕はテレンス・マリックの亡き弟がギタリストだったことは全く知らず、巨匠テレンス・マリック監督作品だからこの作品を見たのですが、意外なところからつながりというものはうまれてくるものです。

エンドロールにはクラシックギターを弾く人ならば一度は弾くであろう、超有名曲が流れます。きっとラリーが弾いていたその曲が、マリック監督の耳にずっと残っていたのではないかと思います。


それがこうしてたぐいまれな傑作を生み、パルムドールを得るという快挙をなしたのが、何かこう、クラシックギターが好きなものとして、「くる」ものがありました。

 

父親の音楽への挫折が無ければ、ラリーは音楽の道へ進まなかったかもしれない。

セゴビアがいなければ、ラリーはスペインに渡ろうとはしなかったのかもしれない。

ラリーの死が無ければ、テレンスはこの映画を撮らなかったかもしれない…

 

若いギタリストが渡欧の末に挫折して両手をつぶして自殺する…本当に悲しい物語です。しかし、そんなこんなをすべてひっくるめて、悲劇も死もすべてが意味を持ち、『ツリー・オブ・ライフ』として、ただつながっていく。ラストシーンではそれを象徴するかのように、うつくしい光の中ですべての存在が輝いていきます。


この圧倒的な「肯定」というか「賛歌」というか、あるいはそうであってほしいという監督の「祈り」を感じる時、心の底から打ち震えるような感動がやってきました。

 

監督業40年で5作目のマリック監督映画。というか、壮大な「俺史」。非常に私小説的で、私的な告白であり、私的な祈りともいえる作品で、人によっては「なんじゃこりゃ」な作品ですが、クラシックギターをやっているひとには、ちょっと違った味わいがするのではないかと思います。

  

アリが歩く時はどの足から動かすか知っていますか? -映画『モリのいる場所』を見る

モリとぼく

沖田修一監督『モリのいる場所』を池袋シネリーブル池袋でみてきました。

僕がモリこと画家・熊谷守一を知ったのは3年ほど前でしょうか。調べてみると「熊谷守一美術館」まで歩いて行ける距離に住んでいることがわかりました。モリが終の棲家とした地の跡地に美術館は建っていて、そこで初めてモリの描いた猫や自然の絵に出合い、一発で魅了されてしまいました。

昨冬から今春にかけて東京国立近代美術館で開催された「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」というモリの展示にも足を運びました。モリは「轢死」をテーマにカンバスに向かっていた時期があり、後期のポップな作風からは想像もできない、荒々しい絵に驚かされました。

仙人のような容貌(本人はそう呼ばれること嫌ったらしいですが)、ポップな絵、「へたも絵のうち」と言い放つキャラクター…そんなこんなで、この熊谷守一という画家にすこしずつハマっていったのです。

 

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映画になった

映画が5月に公開されることは、近代美術館の展示の際に告知がされていました。モリは「池袋モンパルナス」を代表する画家のひとりで、いわば地元といえる池袋の映画館にかかることはやはり嬉しいものです。もちろんシネ・リーブルでみるしかないです。

山崎努がモリを演じ、モリの奥さんを樹木希林が演じることは知っていましたが、それ以外は情報を入れずに見に行ったので、脇を固める俳優陣の豪華さにびっくりです。加瀬亮、光石研、吹越満にきたろう…油断すると松重さんとかが出てくるんじゃないかと思えるような贅沢なキャスティングでした。

沖田さんといえば『南極料理人』、『横道世之介』にみられるように、少しエキセントリックな人物のゆるやかな日常や、その場にただようオフビート感を描かさせたらピカイチの人で、この『モリのいる場所』でもその手腕は遺憾なく発揮されていました。

 

 モリの目で見ること

モリと言えば「アリが歩く時には、左の二番目の足から歩き出す」ことを発見したほどの恐ろしいまでの観察眼の持ち主といわれています。物語の中でも、モリの家の庭を訪れる多くの野生の生き物、草花が、ただただそのままに映し出されるシーンが多用されています。

アリがキビキビと歩き回る姿を微動だにせずにとらえ続けるカメラ。もちろん自然のアリなので(おそらく)何の意図もなく、ただ歩き回っているだけです。これを見続けることに、僕は正直にいって、じれったさや、居心地の悪さを感じずにはいられませんでした。

歩き回るアリ、風に吹かれてそよぐ葉、これでもか、と言うようにただただレンズは茫漠とした空間を切り取り続けます。

ふしぎなことに、冒頭にはじれったさを感じさせられていたこの映像に、次第に僕の目線は慣れていき、ある種のシンクロをするようになっていきました。ただ「見続けること」が、「強い意志をともなった行為」として感じられるようになっていったのです。

たぐいまれな観察眼を持った画家と、凡俗であるところの我々の間にある相容れなさ、この「じれったさを感じること(感じさせること)」というのが、監督のねらいのひとつであり、またこの映画にある種の普遍性をもたらしているのではないかと僕は思いました。

「モリの見ていた世界」を丁寧にくみ取り、再構築して観客に感じさせること。仙人と呼ばれ、なかば世捨て人のような生活を送っていた芸術家のまなざしを追体験させること。

すなわち「モリが見ていたように世界を見ること」により、熊谷守一という芸術家の豊かな芸術世界を味わわせることが、沖田監督のねらいだったのではないかと思うのです。「その人が見たままに世界を見る」ことは、他者への理解、共感、シンクロ…何とよんでも構いませんが、まさに「他者の立場に立つことはできるか」という普遍的な命題なのでないでしょうか。

 

掘ること

モリは30年以上にわたって自宅の庭から一歩も出ずに、いわば庭を小宇宙として生きています。決して広くはない庭にはモリが30年をかけて掘っているという池がでてきます。いわゆる村上春樹的な「井戸を掘る」と同じ象徴表現なのですが、こちらも非常にユーモラスに描かれていてよかったです。

モリの家の隣にマンション建設の予定があり、モリの芸術にシンパシーを感じしている若い学生などが、反対運動をしているのですが、そのことをモリは知らなかったり、このあたりは現在のSNSの風刺として面白かったです。

 

食卓を囲うこと

邦画における重要な象徴表現でもある「食卓を囲む」シーンが何度も出てきます。モリの人柄にひかれて様々な人がその場に居合わせますが、この作品の中での最大の人数が集まるシーンでモリが取る行動が、またいいです。公開中の映画なので今日はこの辺にて。

 

余談 カメラのこと

モリの家に通い、モリを撮り続ける若い写真家が劇中に出てきます。加瀬亮が演じる藤田武という写真家で、モリの一瞬をファインダーにとらえるために色々な工夫を凝らしたり、NIKONの一眼レフを手にひたすら待ち続けたりするシーンがコミカルに描かれます。

この藤田武は、モリの写真を撮っていた藤森武さんという写真家がモデルになっています。藤森さんは土門拳の弟子のひとりで、師の志を継ぎ、仏像の写真を撮り続けている写真家です。

藤森さんが撮ったモリの写真集『独楽 熊谷守一の世界』も、こんなふうに撮られたんじゃないかなと、ちょっと微笑ましくなるシーンがたくさんあり、カメラ好きとしてもたまらない感じでした。 

 

 

 『モリのいる場所』はまだしばらくは上映しているようです。この機会にぜひ、東京の片隅で、隠者のように描き続けた芸術家に触れてみてはいかがでしょうか。この何もかもが恐ろしい速さで流れていく世界で、きっとそのまなざしがもたらしてくれるものがあると思います。

GLIM SPANKY 武道館 に行ってきました!

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武道館で行われたGLIM SPANKY のワンマンライブに行ってきました。オハラブレイク2017、アラバキロックフェス2018と聞いて、すこしずつハマってきている男女二人のロックユニットです。

なにかの本で「毎週1枚、いままで聞いたことが無いミュージシャンのアルバムを聞くと、新しいアンテナが立つ」みたいなことを読んで、いままで聞いてこなかったジャンルや世代の違う人たちの音楽を聞くようにしています。

 

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(若大将からもお花が!)

昨年8月のオハラブレイクで、たまたま柵ごしに目が合ってしまって「あ、どうも」みたいに互いに会釈をした人が、実はこのグリムスパンキーのボーカルの松尾レミさんだったのですが、彼女がオハラでステージに立つまで、ぼくはその存在も全く知りませんでした。

彼女は26歳ですが、ジミヘン、ツェッペリンストーンズビートルズなどなどオールドロックに精通していて、それらを自分たちの音楽に反映させています。そのせいもあってかサウンドがおっさんホイホイな感じがあって、会場もかなり幅広い年齢層のお客さんがきていました。僕もその一人です。

その模様は兵庫慎司さんのブログにもつづられています。

 

松尾さんの出身地は長野県の人口数千人の村で、やはり、音楽で食べていくことに周囲の理解は無かったようです。そんな村からもお花が届けられていました。こういうお花はだいたいミュージシャン、芸能関係者やメディアからが多いのでちょっと面白かったです。

意志のある所に道は開けるのだなーと。

 

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本編の最後のナンパーは「大人になったら」本当に素晴らしかった!

 

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